ちょっとした出会いから〜うまく話せないのは、傷ついた記憶のせいかもしれない〜

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こんにちは。心理カウンセラーのあさです。

昨日は万博へ行ってきました。

お昼ごろに着くように向かったので、シャトルバスやゲートもスムーズで、ほとんど待ち時間もなく入場できました!

ところが中に入ってみると、予想してましたが、人、人、人。
人気のパビリオンはどこも長蛇の列で、2時間、3時間待ち。

なので、アメリカやフランスはあきらめて、アフリカ・中近東のパビリオンに行くことに。
それでも30〜40分待ちでした。

ここでちょっとした出来事がありました。

サウジアラビアのパビリオンに並んだときに、後ろからフランス人の男性が来て話しかけられました。
そのまま一緒に中を見て回り、最後の方で「お茶でもどう?」と誘われて、なんとなく「まぁ、いっか」と思って一緒にお茶を飲むことに。

でも、言葉があんまり出てこなくて、ただ微笑んだり、周りを見たりして、ほとんどが沈黙で過ぎていく時間になってしまいました。

結局、「じゃあね」となってそこで解散したんですが、なんだか後味の悪い感じが残ってしまって……。

帰り道、改めて「やっぱり話せないと、次には進めないんだな」と感じました。
私はもともと自己開示が苦手で、普段から聞き役に回ることが多いタイプです。

歩きながら、「どうして私は、こんなにも話せなくなったんだろう?」と考えていました。
思い返してみると、きっかけになった出来事が2つあるように思います。

ひとつは、母との関係です。
うちの母は、けっこう過干渉なところがあって、
「誰とどこ行くの?」「今日は何してたの?」と毎回のように聞かれていました。
普通に答えていたけれど、心の中では「全部知られたくない」「干渉されたくない」という気持ちがだんだん強くなっていって、いつの間にか、自分のことを話すのが嫌になってしまったんです。

そしてもうひとつは、元彼とのこと。
昔、ちょっとした日常の話をしたときに「それが何?」って言われたことがありました。
たった一言だけど、すごく記憶に残ってしまって、それ以来、その彼には自分のことを話すのをやめてしまったんですよね。

そうやって少しずつ、「話すこと」に対してブレーキがかかっていって、
気づけば、「何を話していいか分からない」という状態になっていた気がします。

さらに思えば、母や元彼に限らず、昔から私は
「なんか変なこと言っちゃったかな」とか「こう言えばよかったかな」と、
あとから自分を反省してしまうクセもあって。
ますます自分を表現するのが怖くなっていったのかもしれません。

でも、それって「話すこと」が苦手なんじゃなくて、
「否定されたらどうしよう」「傷つきたくない」って思って、守ってきた心の反応なんですよね。
そう考えると、今の私に必要なのは、無理に話すことではなくて、
「話しても大丈夫」と思えるような、小さな安心の積み重ねなのかもしれないです。

言葉がうまく出ないときもあるけれど、
それでも誰かと関わりたい、わかり合いたいと思ってる自分がいる。
その気持ちも、私自身がちゃんと認めてあげようと思います。

少しずつでも、「話したい」と感じたときに、
安心して言葉を出せるような場所や人とのつながりを増やしていきたい。
そんなふうに思えた万博の帰り道でした。